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大学3回生の時、学習塾を創業。この道一筋に、生徒のため・保護者様のため、がむしゃらに頑張って27年。自慢の教え子は3000余名。「教育平成維新」をスローガンに、志高き若人の育成に邁進します。
聴く
私が話しをすると、“聞こえている”だけの状態の子どもたちがいる一方で、一生懸命“聴き取ろうとしている”子どもたちもいます。この二様の状態が「聞く」と「聴く」の違いで、英語でも「hear」と「listen to」で区別しています。

視覚においても、単に「見えている(see)」ということと、しっかり「視る(look at)」ということが違うように、「聴く(listen to)」や「視る(look at)」には「聞こえている(hear)」や「見えている(see)」 の状態にはない、見よう、聴こうという意思・意欲が入っており、「聴」の字は、本来の字義とは別に字形から「『十四の心に耳を向ける』と読むことができます。

ただ「聞き流す」のではなく 感心を寄せて『聴く』こと 大事にしたいものですが、最近の子供たち、この「聴く」という能力が劣っているように思えます。
当然のことながら、話しを「聴ける」子は、学習能力もあり勉強もよくできます。

なぜ、話しを聴けなくなっているのでしょうか?子供たちの周りには、テレビに代表される一方的な情報伝達手段が幅をきかせ、子供達に深く考える余地を与えていないからでしょうか?
理由は多々あるかと思いますが、話しを聴けない状態、よくないことは確かです。

話しを聴くということは、話し手が何を言おうとしているのかを探り、また、自分をその話の中に同化させたり、異化させたりの作業が伴うはずです。

ここで私の仕事に立ち返ってこの「聴く」ということを問題視してみますに、『聴くということは、話し手が何を言おうとしているのかを探ること』、この部分ができるのであれば、『出題者(作問者)は何を知りたいたいがために、どんな知識を引き出したいがために、この問題を作っているのか?』を考えることができるということです。これができずに、闇雲に問題を解く生徒が増えてきているのです。

私の今年の指導目標の一つに、「聴ける生徒の育成」があります。ことあるごとに生徒に語りかけ、「先生、今、何を話した?まとめて・・・」などと、しつこく問うようにしています。
いかなる結果になるのか、「聴ける生徒」になって欲しく思います。
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